息子のまなざし

息子のまなざし

ロゼッタ」のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の、2002年作品である。主役のオリヴィエ・グルメは、ほとんどセリフの無い役柄ながら、その確かな演技力でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した。


職業訓練所で木工を教える中年講師、オリヴィエ。寡黙で真面目な仕事ぶりであるが、どことなくとっつきにくい男だ。彼には別れた妻がおり、また、数年前に殺人で息子を失ったらしい。
そんなある日、彼は新入生名簿を見て愕然とする。他のクラスに定員オーバーで入れなかったその青年を、オリヴィエは自分のクラスへと招き入れる。人気の無い教室で毎晩腹筋をし、体を鍛えるオリヴィエ。彼は何をしようとしているのか、そしてその青年は誰なのか・・・・。


 淡々と日常の小さな事柄を、登場人物の行動で見せていくダルデンヌ兄弟の「ロゼッタ」同様の手法は、社会に埋もれた、または隠された「日常の裏側の暗い部分」と、登場人物たちの心の動きを見事に映像で描写してみせる。
 ダルデンヌ兄弟の映画には、俗に言う「見せ場」もないし、「大団円」もない。それは、現実は映画のように派手ではないし、終わりよければすべてよし、というような単純な瞬間も無いからだ。
 しかし、人生には真実が露呈する瞬間、がある。心の何かがスイッチし、地味ながら何かが変わる、そんな瞬間がある。ダルデンヌ監督は、グルメの寡黙で実直な雰囲気をうまく生かし、実直な講師であるオリヴィエの苦悶や怒りを静かに映し出す。また、青年フランシスの「何をすべきかがわからない」といった危うげなたたずまいから、徐々にオリヴィエの後姿に「なすべきこと」を学んでいく様子が、その幼い表情や言葉に見て取れるのも、監督の細やかな演出の賜物であろう。

(以下、批評となりますが、ネタバレが含まれます。)

 オリヴィエの職業は「大工仕事」を教える講師である、というのが、この映画の一番の象徴的な事柄であろう。それは、かの「すべての人の罪を許し、背負って死んだ」キリストの職業だ。 また、映像で細かに描写される「大工仕事」は、実はそのイメージとは裏腹に、非常に緻密で精密な仕事である。木材について正確な知識が必要であるし、それを運ぶにもしっかりとしたバランス感覚が無ければならない。すべてを正確に測ってから木材を切断し、測量したとおりに緻密に打ち付ける。

 そのバランス感覚の、そして「正確に把握すること」の大切さは、すなわち人生においても同じなのだ。フランシスがオリヴィエの「見ただけで正確に距離を測れる」という特技に尊敬の念を抱く場面がある。フランシスは彼のそれまでの成長の過程で「正確に把握すること」を学ばなかった青年だ。殺すつもりは無かったのに、力を入れたら死んでしまった、とフランシスは言う。「正確に把握すること」は実はとても大切なことであり、彼はそれをオリヴィエから初めて学んだ。だからこそ彼に後見人に頼むほど尊敬するようになるのである。

 一方オリヴィエの苦悩は深く、彼の静かな怒りは部屋で静かに腹筋を鍛える彼の動かない表情に刻まれる。が、彼はものを「創造する」大工なのだ。物事を「正確に把握する」大工なのである。真実を知りおびえて逃げ出すフランシスにも、オリヴィエが「破壊するもの・距離のわからないもの」ではなく、「正確に把握をする大工」であることがわかっている。だから彼はまたオリヴィエの元に戻るのだ。

 いつものように、淡々と、バランスよく木材をかかえる大工仕事に戻っていく二人の姿は、けして明るくも、にこやかでもない。けれど、そこに目に見えない絆と、神でもあり人間でもあるキリストの姿が、見える気がするのだ。