「ドグマ」

「ドグマ」(1999年アメリカ映画)  聖書でやおい

 「やおい」とは、「ヤマなし、オチなし、イミなし」の、アニメや小説、映画など既存の作品を主に同性愛を中心にパロディ化したものと記憶している。映画「ドグマ」は、同性愛ではないにしろ、この、「やおい」の基本体質をまさに兼ね備えたB級映画−しかも、ベン・アフレックマット・デイモンサルマ・ハエックアラニス・モリセットアラン・リックマンといった豪華メンバーをそろえてのだ−であり、そして、その元となった既存作品は、あの、世界で一番のベストセラー、「聖書」なのである。


 ニュージャージー州カトリック教会。教会のイメチェンにと、枢機卿は、教会の門をくぐればどんな罪でも許されるという「特別の日」イヴェントを発表。
 これを知った、神に逆らって2000年間ウィスコンシンに追放されていた、天使のバートルビー(ベン・アフレック)とロキ(マット・デイモン)は、このチャンスを利用し自分の罪を清めて、天国へ帰還しようと企む。
 が、これが成功すると、キリスト教の教義(ドグマ)は根底から覆されてしまう。神は天使(アラン・リックマン)をつかわし、ある女性を選ぶと、彼女や予言者、女神(サルマ・ハエック)とともに、二人を阻止しようとするが・・。


 基本は天使と聖書のパロディだ。聖書からの引用もふんだんにあるし、なんといっても「ドグマ」であるから、それを最大限に利用したストーリーである。「聖書」をもとにとことんパロディしたこのB級やおい風映画は、冒頭に夢のように長いお笑い「おことわり」がある。キリスト教に悪意を持っているのではないこと。神を冒涜しようとしているのではないこと・・とせつせつとひょうひょうとえんえんと続くおことわりは、おそらくこの映画最大の山場だ。
 そして、あとは御気楽な登場人物たちに、御気楽なストーリー展開。くだらないけれどそこそこ笑える御気楽コメディ、といったところだろうか。

 しかしこの映画は私に、非常に興味深い感慨を抱かせてくれた。
 日本ではキリスト教は、それを宗教としているのが人口の約2パーセント以下であり、しかも、その学歴の平均値は、一般の日本人よりも高く、どちらかといえば「高学歴の宗教」なのだそうだ。また、2パーセント以外の人間がキリスト教についてしっているという場合、そのほとんどは学問として、知識と知っているということになるし、特に詳しく、「ドグマ」まで知っている、となれば、これはもう非常に詳しくキリスト教を「学んだ」(自分でにしろ、どこかでにしろ、だ)人、ということになる。ということは、日本人でこの映画を、既存の作品を軸とする本当の「パロディ・やおい」として楽しめる人というのは、おそらく日本の人口の一割程度というところだ。

 けれど、この映画「ドグマ」は、B級娯楽映画で、アメリカの一般的な庶民派コメディ映画なのだ。「ドグマ」で語られる宗教は、私にはときに知的にすら聞こえるが(これを書いたケヴィン・スミスは、監督であり、脚本家であり、登場人物のサイレント・ボブとして非常にいい味を出している役者でもある、サンダンスで評価を受けるなどもちろん知的な人物であるのだが)、それは、「毎週教会になんとなく行く」キリスト教が主要な世界では、非常に一般的で、日常の普通の会話なのである。彼らにとっての聖書は、「やおい」になるほど、馴染みのある、よく知っている物語なのだ。

 もちろん上に書いたようなことは、私も分かっていたつもりであったのだが、この映画を見てつくづく、その「浸透」具合に感心した・・・・と、そんなことばかりが心に残った、この映画であった。

映画として 5/10
やおいとして 7/10