ビヨンド the シー 〜夢見るように歌えば

 「ビヨンド the シー」〜夢見るように歌えば〜  スペイシー監督の才能を感じさせるエンターテイメント作品

 アカデミー俳優ケヴィン・スペイシーが、製作・監督・主演の3役を努め、一切の吹き替えなしに歌い踊ってみせる、1960年代の大スター、ボビー・ダーリンの生涯の映画化である。

 ボビー・ダーリン(ケヴィン・スペイシー)は、自分の人生を映画にしようと考えていた。若いころのアナタを演じるには年をとりすぎなのではないですか、という記者たちの批判をよそに、子役の少年と会話を交わしつつ、「思い出を月光のように」つづっていく。
 リウマチ熱で15までの命と宣言されながらも、音楽好きの母親と、シナトラをめざし歌い踊ったブロンクスでの少年時代。歌手としての成功、女優サンドラ・ディー(ケイト・ボズワース)と結婚…。しかし、もちろん、すべての思い出が月光のように美しかったわけではなかった・・・


 たとえボビー・ダーリンの名前をご存じなくても、「マック・ザ・ナイフ」(クルト・ヴァイルの「三文オペラ」からのアレンジであるのは意外と知られていない)「ビヨンド・ザ・シー」(最近では、ディズニー映画「ファインディング・ニモ」のエンドクレジット曲として記憶に新しい)を聴いたことのある方は多いかと思う。いや、それとも、サンドラ・ディー位はご存知であろうか。「グリース」で歌われる、"Good bye, Sandra Dee"の、サンドラ・ディーである・・・ボビー・ダーリンは、彼女の夫でもあった。

 映画内で10曲以上披露されるケビン・スペイシーの歌の上手さ(踊りは微妙)、ボビー・ダーリンへのなりきり加減についての賛辞は、どのページを見ても見つかるものであるから、ここでは割愛しよう。歌のうまさはとにかく、書くまでも無い。10年構想を暖めながら練習した、というのもさもありなんのできばえである。

 さて、実はこの映画のおもしろいところは、その「作り」だ。ボビー・ダーリンが、自伝映画を作っている、という設定で物語りははじまる。若いころのアナタを演じるには年をとりすぎなのではないですか、という記者からのボビーへの質問は、実はケビン本人に実際に言われた批判だったという。そんな質問をさらっとかわし、子役の子供と言葉を交わしながら映画はすすむ。
 素晴らしい思い出は歌と踊りでつづられ、そのミュージカル場面は、ブロンクス時代はまるでそのセットや衣装そのまま「ウェストサイド物語」を見るかのようだし、ディーとの恋愛のエピソードは、「ローマの休日」をも意識した「パリのアメリカ人」風である。合間合間に子供との会話や撮影シーンが差し挟まれ、ああ、そうか、映画を作っている設定だったな、と思っているうちに、いつの間にかダーリンの結婚生活などリアルな私生活が描かれ、一時間も見るころには、「映画を作っているという設定」だったことはすっかり忘れてしまうような展開だ。このへんの匙加減、進め加減は、スペイシーの監督としての才能を感じさせる。

 女優サンドラ・ディーとの結婚生活のエピソードは、ユーモアも交えて描かれ、最近みた「喧嘩シーン」では、一番のできばえのように思う。笑わせておいて、ケンカの最後では、ほろっとさせる。その辺の描き方も、うまい。

 サンドラ・ディー役のケイト・ボズワースの使い方も実に上手である。彼女はそっくり、というわけではないが、雰囲気がそのまま、私たちが想像したとおりのサンドラ・ディーなのだ。その可憐さ、かわいらしさ。当時の風物や実在の人物たちを引き立てる衣装やメイク、セットにも何の手抜かりも無い。

 難を言えば、確かにスペイシーが年をとりすぎていて、登場人物たちの年齢がどうも分かりづらいところであるが、(ボビー・ダーリンは38歳で死去)細部まで手を抜かず、構成もよく練りぬかれた作品であるといえよう。

 大御所「レイ」の陰に隠れてしまったのが残念だが、(映画の中には、なんとレイ・チャールズについての言及もある。伝記映画が目白押しのハリウッドを意識してのことだろう)ボビー・ダーリンの劇的な人生ともあいまって、歌に踊りに酔い、ドラマに泣け、そして最後までスィングを忘れない、素晴らしいエンターテインメント作品だと太鼓判を押しておこう。

そして、歌と踊りばかり取りざたされているスペイシーの監督としてのこれからに、大いに期待したい。 

映画として 9/10
ボビー・ダーリン=スペイシー 10/10
サンドラ・ディー=ボズワース 10/10