「めぐりあう時間たち」考

 この映画は別々の時代を生きる三人の女性が主人公である。20世紀初頭を生きたバージニアウルフ(特殊メイクでの熱演・ニコールキッドマン)、50年代の主婦ローラ(ジュリアンムーア)、現代の女性編集者クラリッサ(メリルストリープ)。彼女たちはそれぞれの時代で、あるひとつの溝に苦しんでいた・・・

 その溝とは、「おと〜ことおんな〜の間には」というあれである。(わからない人は、気にしないで読み進めてください;;)

 精神病を病む自分を支えてくれる愛情深い夫との、溝。幻想としての女性像として自分を愛する夫との、溝。病に冒された愛する男性との間の、溝。彼女たちは「自我」と男たちの思惑との間の溝に、苦しんでいる。

 映画の最後で、ウルフは夫への手紙でこうかいている。「私たちの間には、時間がある・・・」この映画の原題はThe Hours。時間とは、隔たりのことだ。いうなれば温度差。愛をもってしても、幻想をもってしても、この温度差は埋められない。そういえば、神だって、アダムとイブを作る間に、時間を置いたではないか・・・それは永遠に埋められることのない時間なのだ。

 この手紙が読まれる場面の背後には、深くにごった川が映し出されている。時間の、川。時は流れるのに、男と女の時間は埋まらない。三人の女性たちの生きた時代は、ちょうど50年づつ違うのだが、その苦悩はまるで同じだ。

 「ピアノレッスン」では、主人公はモノローグとしての「自我」を沈め、対話を選択した。「めぐりあう時間たち」では、主人公たちは何を選択するであろうか。

 わかりにくい映画かもしれないが、どうか見てほしい。作品中に出てくる同性愛が救いだというのではない。女性学では同性愛というのは比ゆ表現で、同性同士が理解しあい、助け合うことを意味する(シスターフッドということもある)のだ。すべての女性は、この映画に思い当たる節があるはずなのだ。男たちとの溝を、時間を、われわれは生まれたときからさんざん感じているのだから。

結論:女性なら、500円払っても見る価値あり。ただし、あたし物考えるのきらぁい、の人は、見ないこと。奥さんとの溝に苦しんでいる男性も、相当見る価値ありです。