「スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする」

「スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする」 曖昧であることのいじましさ

 あなたは今見ている目の前の光景が、本当にそのとおりであるのか、確信できるだろうか。

 あなたが今見ているその世界は、左右二つの目から入った平面画像を、脳が計算して奥行きを付け加え、立体らしく見せているに過ぎない。目から入ったものと、あなたが見ていると思ったものは、全く違うのだ。それなら、脳は、本当はそこに無いものを我々に見させたり(人間の脳には、想像を付け加えて画像を付け加える機能だってあるのだ!)、実際とは全く違った形のものを我々に認知させたりするくらい、平気でするのではないだろうか。
 あなたが確実であると信じている、あなたの目は、明らかに曖昧なのだ。

 目ですらそこまで曖昧であるのなら、はたして人間の記憶はどれほどいいかげんなものであるのか。昨日の自分の行動が思い出せない−そんなこと日常茶飯事だし、ましてや我々の子供のころの記憶ほど不確かなものは無い。行った事があるように感じる場所は、単に話を聞いたことがあるだけだったりするし、見も知らないおばさんに抱かれて、にっこりと笑った写真を撮られた時のことなんて、何も覚えていない。記憶はとびとびで、不確かで、時に妄想をも含む。

 くれぐれも言っておく。我々の視覚も、記憶も、ひたすらに曖昧で、悲しいほど不確かだ。その存在すら危うく、確信のない我々は、つまりはただの幻想にしか過ぎない。

 しかし、その曖昧さは、我々の哀しいまでの不確かさは、同時に途方も無く魅力的でもあるのだ。はっきりと思い出せない記憶にノスタルジーを感じ、希望を見出し、見たくないものに何かを投影して目を向ける我々の、なんとはかなくもいじましいことか。

 クローネンバーグの「スパイダー」は、そういった我々の悲しくもいじましいあやうさを、地味ながらきっちりと描いた作品である。原作はパトリック・マグラア。すばらしい原作を、クローネンバーグくささを押さえて描いた、トロント国際映画祭最優秀カナダ映画賞を受賞した佳作である。


 ロンドンのある駅に、ふらふらとある男(レイフ・ファインズ)が降り立つ。心療施設を退院した患者を預かる施設に部屋をもらった彼は、少年時代の記憶をたぐり寄せていく。蜘蛛の思い出話をしてくれ、自分をスパイダー、と呼んで愛した、優しい母の面影を・・・・


 物語は全編彼の追想と、現在が交互に描かれるのだが、追想の中に大人の姿の彼が混在しているなどおもしろい描き方である。淡々とした地味なストーリー展開であるが、レイフ・ファインズの好演が光り、飽きずに見ることができた(私はね。でもハリウッド大作以外はつまらないと感じる人には、地獄かもしれない)。クローネンバーグのグロさはなりをひそめ、「ザ・フライ」で見せた繊細さだけが、緻密にこつこつと積み重ねられていく。この映画は、私を不安にさせた。私という生き物はどれだけ真実なのか?

 「メメント」をご覧になった方は、「スパイダー」を物足りないとか、「メメント」のマネ!(実際はマグラアの原作のほうが先であるので、類似点があるのなら、「メメント」が「スパイダー」をまねたのであるが)とおもうかもしれないので、もしかしたらご覧にならないほうが良いのかもしれない。「メメント」のスタイリッシュさは、この映画には無いので。
しかし、「メメント」を見た後のような腹立たしさ(私だけ?)はこの「スパイダー」には無かった。ただ、哀しく、いじましい。そんな映画であった。

結論 250円
ただし、スカッとしたい人とか、ハリウッド大作命!の人には、とてつもなく不向き。「メメント」サイコー!!!って人にも、たぶん不向き・・。