「WAR REQUIEM」

「WAR REQUIEM」 悲愴に美しいジャーマンによる戦争批判叙事詩

 デレクジャーマンは1994年にHIVでこの世を去った。その前に住んでいたのが、イギリスのダンジェネスという、ドーバー海峡に面した小さなな村で通りがかりに買った、小さなコテージである。この村の先には原子力発電所があり、荒涼とした風景と海を背中に、ジャーマンはコテージの前に小さな庭を造り続けた。
 殺伐とした乾いた土に、水を、肥料を、注ぐことで、ひからびた土は土壌となり、草や花が茂った。それを彼の研ぎ澄まされた感性で、さまざまな色が交錯する美しい庭にした。その工程は以前すこし紹介した本「Derek Jerman's Garden」や、庭そのものを舞台とした彼の映画「ザ・ガーデン」に詳しいのだが、彼がこのコテージを購入し、庭を作り始めたのと前後して創られたと思われる作品が、今日ご紹介する「WAR REQUIEM」である。

 1989年に撮られたこの作品は、どういった理由でか、2002年まで公開がされていなかった。が、21世紀をむかえ、戦争の世紀であった20世紀をそのまま引き継ごうかとしている世界で、この作品が公開されることになったのは、まさに運命といえる。

 作品は英国の戦争詩人ウィルフレッド・オーエンと、作曲家ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」を軸としている。ストーリーはあるが、セリフは一切無い、いわゆる「ヴィジュアル・オペラ」−簡単にいってしまえば「戦争レクイエム」という曲のMTVだ。


 救護院でたたずみ戦争の思い出に涙する老兵士(ローレンス・オリビエ)。そこに重なるオーウェンの詩

「私の悲しみは残り、それは今 消さなければならない。
残ったものは、真実と、語られない戦争の悲しみ。
戦争のあとには、悲愴だけが残される。」

で、この映画は始まる。
 実際に25歳で戦場に散ったオーウェン自身を物語の軸に、その妻らしき看護婦の女性(ティルダ・スゥイントン)との幸せな日々、そして戦場と病院へと引き裂かれる二人のそれぞれの「現在」の合間にはさまれる、おびただしい数の、実際の戦場での記録映像。(第一次世界大戦のものから、広島原爆、近代の迷彩服のものまで、その映像はすべての時代にわたる)ときおり姿を現すコーラスの背後に燃え盛る戦場の火、火。

これは最高に美しく、哀しく、崇高で威厳に満ちた、ジャーマンの、まっこうからの戦争への批判だ。
たとえば、「戦場のピアニスト」や「シンドラーのリスト」では、それは劇的なストーリーと、リアルに再現された戦争場面でわれわれに訴える。
しかし、「WAR REQUIEM」では、それは、ジャーマンがつむぎだす切り取られた絵画のごとく美しい陰惨さと、率直に戦争と死を歌うオーエンの詩、ブリテンの荘厳な音楽を背後に火を吹く銃や、眼窩から血を流して横たわる遺体といったものだ。
これは、戦争を描いた、映像叙事詩なのである。

戦争に行く前の、母親と妻と、白いシーツを何枚も干し、共に風に洗われるオーエンの、セピア色の記憶。
 戦争が始まり、兵士たちは灰色の、ひたすらに灰色の「土」を掘る。それは戦場の土豪だが、彼らの墓地をも暗示する。
何も生み出しも支えもしない、ぬかるんだ灰色の土。
 そして、オーエンは終わる事の無い戦闘の地で、美しい焦茶色の土に、びっしりと芝生を育て、そこにほお擦りをしてみせる。混沌とした世界の中で手にする、掌に入るような、小さな小さな庭。庭とは、アダムとイブが追われたあの楽園であり、天国のことだ。
しかし彼の手にする天国はあまりにも小さい。美しく生き生きとしたその土壌は、足を踏み入れることすら出来ない。

 劇中劇としてさしはさまれるのは、聖書のアブラハムの物語だ。アブラハムは神の命により、ささげ物として自分の息子を差し出そうとする。聖書では神がアブラハムの「自分の息子を殺そうとした」行為をかえりみて、代わりの生贄の羊が与えられる。 
しかしこの作品では、アブラハムはあえて息子を生贄として本当に殺す。
 「殺そうとした行為」がかえりみられるのなら、戦争で多くのものたちが殺し、殺されることで、神は何を与えてくれるのだろうか。安息か、平和か・・?
しかし実際にそこに残るのは、おびただしい数の、墓標だけだ。
戦争では、神は何もかえりみはしない。

ジャーマンの映画では、絵画を模したキリスト像がかならず出てくるのだが、ここではそれは、ドイツ兵に殺されたオーウェンの友人である。
戦火の合間にピアノを弾いていた彼の背後にたたずむドイツ兵。彼は攻撃する代わりに、笑顔を見せてふと手にしていた銃を置き、雪の塊をその背中に投げてみせる。振り返った友人もまたドイツ兵の姿に驚きつつも、笑顔で答える。数秒のやすらぎ。が、一発の銃声がドイツ兵の雪玉をとらえ、ドイツ兵はしまいこんでいたナイフでオーウェンの友人を刺し殺す。そして、他の銃弾が彼を捉え、つかの間の安息は、重なり合う屍と化す。
戦火に安息など、ありえないのだ。

けれど、暗い暗い穴を抜けてオーウェンがたどりついた、小さな水溜りの周りには、手当てを受けたたくさんの兵士たちが、敵味方共にひしめき合っている。微笑みは無いが、戦いも無い。彼らは一緒に、ただ暗いところにじっとたたずんでいる。が、それを安息と呼べるのか。

ジャーマンはこの映画を「自分の作品とは思えない」と語ったらしい。
私も彼の作品は「ラストオブイングランド」「カラバッジオ」「ジュビリー」くらいは見ているが、うつくしいながら非常に分かりづらく、ストレートに心に来るといったものではなかったように思う。

が、「WAR REQUIEM」は、オーウェンという飾らない言葉で語る詩人の詩を通しているからか、ジャーマンの問うていることは非常にストレートに心を打つ。

「我々はごく親しげに、 死神に歩み寄って行った。一緒に座り、落ち付いて淡々と食事をした 」と戦地へと赴く様をうたうオーウェンと、壮大なブリテンのミサ曲、ジャーマンの描くビジョンは、渾然一体となって、全ての戦死者の魂を悼みつつ、こう、語りかける。

戦争とは廃墟であり、灰色のぬかるみであり、何も生み出さぬもの。「戦争のあとには、悲愴だけが残される。」

 そして自らの体にも戦場を抱えたジャーマンは、原子力発電所を遠くにのぞみながら、乾いた大地に、えんえんと庭を造り続ける。彼自身が、神が人間を作り出した最初の、あの天国のごとき庭の土くれに還るまで。

結論

400円で。

もっともっと多くのレビューでとりあげられて、大いに推薦されるべき、申し分のない芸術作品であり、戦争批判叙事詩

 ただし、芸術的なものがダメな人、セリフの無い映画が信じれない人、クラッシックを聞くと急に昏睡してしまう人(催眠術か?)は、借りないように。

追記:ジャーマンはゲイでした。
神が、彼をあの天国の庭にまた、こげ茶色の土として受け止めてくれましたように。