「ラスト・サムライ」

ラスト・サムライ」 日本映画版「カイロの紫の薔薇

 「カイロの紫の薔薇」という映画を知っているだろうか。ウディ・アレン監督作品であるが、こんな内容だ。夫とうまくいっていない中年の映画大好き主婦が、映画の中に入ってしまう。(というより、映画の中の人が出てきてしまうのだが)

ラストサムライ」は、まさにこれを実現した映画である。

 欧米において黒澤明監督がどれだけ高い評価をえているかはご存知のとおりだと思う。名作「七人の侍」にとどまらず、「蜘蛛の巣城」や「用心棒」、晩年の作品「影武者」や「乱」、「夢」にいたるまで、広く見られている。

 われわれが黒澤の映画を見るとき、そのすばらしさは、ストーリーに独特の演出、人物設定の緻密さ、カメラワークといった、内容そのものが主である。時代劇の世界は、それ自体は通常のテレビにおいても見慣れたものであるからだ。
 しかし、欧米人がそれを見たときの印象は、内容のみにとどまらず、むしろ、われわれ日本人が「グラディエーター」や、古いものなら「スパルタカス」や「ベンハー」を見たときに、近い。すなわち、そのセットそのものにも圧倒されるのだ。

 れんれんと連なる段々畑や、てぬぐいをかぶった村娘や、甲冑を着、長く湾曲していない刀を手にした侍たちや、藁を葺いた質素な村や、石段の上に荘厳と立つ城門に、彼らはわれわれがギリシアや中世ヨーロッパを舞台とした映画を見たときと同じ感動を覚える。「すごい!かっこいいなぁ、外国ってかんじ。素敵だなぁ!」という具合だ。

 映画作りを目指し、黒澤の作り出した世界に感動を覚え、後に実際にその業界に身を置くようになった者たちが、共に思ったこと・・それは、「あの世界に入ってみたい」だったのではないか。

 だから映画を作った。よくハリウッド映画にあるような、いいかげんな日本ではなく、まさに黒澤の世界のような日本が作りたかった。だからその話す言葉も含めて、セットはこりにこった。

 トムは、彼らの代表だ。アメリカに絶望し、あの映画で見た日本に、吸い寄せられるように足を踏み入れる。そこに広がるのは、美しい山々と、素朴な人々と、「武士道」に生きる荒々しくも凛としたサムライたち・・・まさに、総天然色でよみがえった「Kurosawa」の世界なのだ。

 「ラスト・サムライ」の短所のひとつは、前半の内容が薄いことであるが、その理由は実はここにある。「ラスト・サムライ」の前半は、彼らの夢、映画で見た日本の再現に捧げられているのだ。内容は二の次である。ポイントは、見るからにアメリカンなトムが、馬で荘厳に闊歩するサムライに連れ去られ、日本の村のあちこちを見て回ることにある。だからオルブレンは村のあちこちに顔を出す。武道の練習に、寺に、わらぶきの家に、甲冑の飾られた部屋に、彼らが入ってみたかった世界のすべてに足を踏み入れ、彼らが着てみたかった着物に、そしてついには甲冑にかぶとまで身につける。
彼らの夢のすべてを、トム=オルブレンが実現するのだ。
 
 さて、多くの人たちから、「小雪はいらない」との声が聞かれた。私としては、「なんであのでっかい美人大根女優、小雪を?」と思わずにはいられなかったのだが、実際に映画を見ながら、その疑問が解けた。
彼女は昔の日本人女性の顔をしているのだ。はれぼったい目、するっと妙に長い鼻。我が家では以前から、うちの柴犬が小雪に似ていると話題になっていたくらいだ(いや、小雪が柴犬に似ているのか?)。懐かしい日本映画では精一杯のお色気お約束シーンである、髪の毛を洗うシーンをやってもらうには、あの顔をした日本人がいなくてはならない。「七人の侍」における津島恵子の役割は、誰かが継がねばならないのだ。(あんなはねっかえりじゃ、ないけれど。)

"我は古きと新しきに和をもたらせし者の刀なり”と書かれたオルブレンの刀、そして終盤で語られる天皇とオルブレンの会話。現代の日本人へのメッセージと受け取ると、複雑なものもあるが、(映画で君たちが見た日本に帰れと言いたいのか?日本大好きのアメリカ人の手を借りて?) これは、すべて彼らが憧れた「日本映画の中の日本」に入りたいだけ。
だからこそ、ラストは陳腐にもオルブレンだけが生き残り、侍魂を(現代まで)抱えたアメリカ人として、村(=憧れの日本映画)へ一人で帰っていくのである。だって、あんな日本、とうに映画の中にしか存在しないのだ。
ラスト・サムライ」は、「キル・ビル」にも似た、かつての日本映画への愛らしい偏愛の塊なのだ・・・・

と、こう考えると、なんだか可哀想に思えてしまって、深く考える気すらうせてしまったりする私なのである。 

結論:
あなたのテレビが29型以上なら、迫力を楽しめるので、400円で。
それ以下なら、300円で。
日本が完璧に描かれていないと嫌な人は、100円で。
 
 追記:1920年代のドイツ日本合作映画「武士道」は日本に流れ着いた外国人が動乱に巻き込まれる時代劇。映画タイトルバックの「武士道」と、原案はここに着想をえたように思われる。

 また、「ラスト・サムライ」のタイトルはおそらく、小説は欧米の教科書にも出てくる、映画にもなった「ラスト・モヒカン」から来るのだろう。モヒカン族が、英仏の植民地合戦に巻き込まれ、滅亡していく話である。

 そうそう、オルブレンの後を延々とつけてくる男のエピソードは、どうも故松田優作の映画「ひとごろし」と似すぎている。私は製作にかかわった誰かが見ているのではないかと思っている。