華氏9/11 (3)

『華氏9/11」 批判と声と映像と (3)

昨日、おとといと、「華氏9・11」の内容における、すさまじいまでのブッシュ批判・アメリカ政府、メディアがけして拾わない声、という二点について語ってきた。
しかし、こう書くと、まるで普通のNHKドキュメンタリー番組の、ブッシュ批判色の強いだけの代物と思われるかもしれない。

が、実際にごらんになった方は、そのポップさに驚かれたはずである。

ゴッドフリー・レジオ監督の、「コヤニスカッティ」や、「ナコイカッツイ」が、現代美術に属する映像作品であるなら、ムーアのこれは、アメリカン・ポップ・カルチャーに属する映像作品である。
この映画はその巧みな話術と誘導によって、洗脳ビデオと同じ様相を持ってはいるが、同時に、今まで見たことのないほどのポップさを持っているのだ。

 アメリカ政府がなんの調査もなくビンラディンの親族を国外へ出したことへの揶揄として、アメリカの正統派刑事ドラマ「ドラグネット」の、捜査シーンをしばし引用し
 アメリカのイラク侵攻を、「ローハイド・アメリカ要人バージョン」で再現してみせ
 イラクアメリカ兵が「人を殺す気分に最適」という曲を、戦車バックにがんがんに流し
 9.11では、スローモーションに、廃墟に飛び散る紙くずを現代音楽にのせ

とにかくその画面と音楽の変化はめまぐるしいのだ。

また、単調かと思われそうなブッシュ批判も、
 心細い子供のようなブッシュの表情をスローモーションにしたかと思うと、
 自信に満ち余裕のある表情を見せるライスや、パウエルの姿を対比に挿入する。
 9.11を、小学校訪問していたブッシュと、現地の様子を交互に、同時進行させ
 ブッシュが支持したテロ後のアメリカの警戒ぶりを
搾乳した母乳を警備員に飲まされた母親の話や
火気持ち込みの奇妙な基準について、
アメリカのテレビショッピング風の映像で、軽快に展開する。

そう、このポップさは、アメリカの、あの高度に発達した数百チャンネルもあるケーブルテレビを、ぱちぱちと次々に変えたときの映像に似ている。
プロモビデオに、殺人に、商品説明に、昔のドラマに、メロドラマのキスシーンに、ボードビルに、ウェスタンに、選挙ビデオに、戦争に、涙。

めまぐるしくかわる「華氏9/11」の映像は、まさにアメリカのマスメディアそのものへの、戯画であり、風刺なのだ。

 それをあくまで、「考えるエンターテイメント」として、ポップに料理して、時に笑いを呼び、時に涙を誘う作品にまとめあげた。

 タランティーノが、「おもしろかったから、賞を送った」といった言葉を、額面どおりに受け取った、純然たる映像作品としても、確かにこの映画は、受賞に値する。
たくさんの批判が飛び交う中で、私はそう思わずにはいられない。
たとえこれが、ムーアによる洗脳映画だとしても、とてもよくできた洗脳映画なのだから。