「過去のない男」

過去のない男」 静かで穏やかな生きなおしの日々

 列車から降り立つ一人の男。ベンチに力なく座る彼の背後から、がらの悪い若者たちが容赦なく彼を叩きのめした。
 しばらくして歩き出した男は駅のトイレで倒れこみ、病院で死亡の宣告を受けるーーが彼は蘇生し、よろよろと病院を出た。
 次に男が気づいたのはどこかの港のそばだ。無邪気な子供たちに見つけられた彼は、粗末なコンテナの家に居候することとなる。そこは低所得者たちが肩を寄せ合って暮らすコンテナ・キャンプ場だった・・・


 私はカウリスマキ監督について、あまりえらそうなことを語れない。なぜかといえば、これが私がはじめてまともにみたカウリスマキ作品だからだ。
レニングラードカウボーイズ」シリーズが有名である彼の作品は、しょっちゅうマスコミでとりあげられているが、どうも自分の感性にしっくりと来ない、おもしろそうではあるけれど「妙ちきりん」だ、と感じてしまい、そのまま食わず嫌いになったのだ。
 しかし、いつものように「過去のない男」をマスコミが取りあげたとき、彼らのコメントは「おかしいんですよ、かわいいんですよ」ではなくて、「すばらしい」だった。それで見る気になった。カンヌのグランプリを受賞していた。

監督はこう語っている

無意識の自我の中に、自分が普通の監督であることを望む何かが潜んでいるのかもしれない・・・今の私の社会に対する社会的・経済的・政治的視点それから道徳観や愛を感じ取ってもらえますように。

カウリスマキがこう語るように、そのたんたんと静かな展開と、なにかほこりっぽいのに美しくて、柔らかな色合いの中で語られる物語には、いろいろな側面がある。

 日本人からすれば、なんだかおとぎの国のようなイメージであるフィンランドに存在するホームレスや、低所得層の一群。それに対する偏見・暴力。
 そこで暮らす者たちのつつましやかで、ささやかな暮らし。そしてそのささやかさを幸福と受け止めることの出来る、心の豊かさ。
 主人公に絡んでくる女性が働く、物資供給の救世軍の献身的な活動に、そこに対比される彼女自身の満たされない内面。
 ユーモラスに捉えられながらも、社会のナンセンスな側面を捉えた、「名前のない」主人公の行き場のない受難。
 彼の自分探しという名の生き直し、出会い、そして、別れ。

こういったものを、たくさんは語らせずに、まるで(あまりにアメリカ的例えではあるけれど)ノーマン・ロックウェルを思わせるような、やわらかい色でほのぼのとやさしい情景を積み重ねて描くカウリスマキは、確かに「普通の」それもとびきり力のある、「普通の」監督であった。

 主人公の彼女を演じる、少し岸田京子似のカティ・オウティネンは、彼の映画の常連らしい。地味でなにもおもしろいことはないといった表情から一転、どんどんキレイになる恋する中年女性を演じ、カンヌでは主演女優賞を受賞した。

 主役のマルック・ペルトラは今回が長編での初主役というが、その存在感と、生き直しにつれどんどんと自信を取り戻し「男前」になっていくのと同時に、名前がないことへの苦悩を抱えるという難しい役を、存在感たっぷりに演じている。 

 カウリスマキ作品では音楽が重要なモティーフとなっているのは有名なところであるが、この作品でもすばらしい曲の数々が披露され、救世軍バンドはフィンランドの人気バンド、救世軍の女室長は実はフィンランド美空ひばりという配役である。この辺、そう聞くとなかなかにくいなと思わせられる。

 やさしく穏やかで、そしてたくさんのことを観客に提示しているこの作品、

結論

400円くらいでレンタルしてあげてください。
他のカウリスマキ作品を見ているのにこれは見ていない、という方、言語道断です。今からすぐにレンタルビデオ屋に出かけてください。