「ヘブン」

「ヘブン」 わたしが、あなたと、天に昇るまで。

 名匠クシシュトフ・キェシロフスキは、「殺人に関する短いフィルム」で注目されたが、「トリコロール」の三連作が日本では特によく知られているだろうか。トリコロールの青・白・赤のそれぞれの意味、平等、自由、博愛を、澄んだ美しい画像と、洗練されとぎすまされた会話でわれわれに提示して見せた、傑作である。

 ポーランドのテレビでドラマとして放映された「デカローグ」は聖書をモチーフにした作品であるが、こちらは物悲しく少しくすんだ色あいの、ワルシャワ郊外の公団を舞台にした人間ドラマである。私としては、一番彼らしい作品というのは、この「デカローグ」ではないかと思っている。(私はビデオも購入したが、何度見てもすばらしい出来のドラマである。これだけのレベルのドラマを見ることの出来たポーランド国民をうらやんだほどだ。一時ポーランドのペンフレンドがいたのだが、キェシロフスキはもうポーランド人の暮らしに溶け込んだ監督だといっていた。うらやましや!)

 そんなキェシロフスキが亡くなったのは96年のこと。彼は死の前に、ダンテの「神曲」に基づいた<地獄篇><地上篇><天上篇>という三部作を構想、脚本化していた。その<天上篇>を「ラン・ローラ・ラン」のトム・ティクヴァ監督が映画化したのが、この、『ヘヴン』である。


 フィリッパ(ケイト・ブランシェット)、金髪の美しいイギリス人女性。イタリアで英語教師をしている彼女は、ある男を狙って彼のオフィスに爆弾をしかけるが、ひょんなことから爆弾はエレベーターに運ばれ、子供二人、大人二人の計四人が命を落す。憲兵隊(警察)に捉えられた彼女はその事実を死って驚愕、さめざめと涙する。私はイタリアの麻薬王を狙ったのです、なんども憲兵隊に捜査を頼んだのに、動いてくれなかったから・・・。
 その姿をじっと見つめる青年がいた。まだうら若い通訳役の憲兵フィリポは、自分がこの一瞬で、彼女に恋をしたこと、そして、彼女のためなら命をも捨てることが出来ると、知ったのだ・・。



 前半の、スリリングな展開は、最近のハリウッド映画と見まごう程の圧巻振りである。サスペンスフルで、思わず声が出るほど。ティクヴァ監督の骨頂というところだろうか。
 後半は、フィリパとフィリポ(同じ名前の男性形と女性形だ)の逃避行となる。一転して動から静へと映画は移る。二人はイタリアの田舎町に身を潜めることとなるが、その景色の美しさ、静けさは、作品としての展開は別としても心を洗われる物だ。

 さて、「作品としての展開は別として」というのは、ティクヴァ監督が、やはり動の監督であったのではないかという私の疑念から来ている。
 キシェロフスキは、静の監督であった。静というのは、動きがない、ということを意味するのではない。彼の脚本はいつも最小限までに抑えられ、その少ないセリフの中で、主人公たちは本質を語る。主人公の悲しみや、喜びは、おうおうにして言葉でも、アクションでも、また創られた表情によって語られるのでもない。情景によって語られるのだ。映画では、情景の一要素である、ケイトブランシェットが至高の演技を見せてくれる。
 しかし、残念ながら、それを情景として積み重ねる力が、ティクヴァ監督にはない。そのため、ストーリーの展開に無理を感じたり、アラを感じたりしてしまうのだ。セリフでは、この抜けた穴を生めることは出来ない。なぜなら、それは情景として、画面に現れることで語る要素であったから、はじめから、脚本からそぎ落としてあるのだ。ティクヴァ監督は、それを拾い上げ、情景として映し出すことに失敗した。それがこの映画の欠点である。

 しかし、ティクヴァ監督に関して評価するべき点はもちろんある。導入のサスペンスフルな展開、二人の逃避行に至るまでの憲兵隊内部の不穏な雰囲気、そして逃避行中のどこまでも美しい光景の数々。彼は本当にキェシロフスキを敬愛していたのだと思う。その白さ、その膜を張ったような透明さ、確かにキェシロフスキをおもわせる。いや、彼よりもむしろ、もっともっとロマンチックだ。その点でこれは、最高にロマンチックなラブストーリーといえるかもしれない。

 さて、フィリパとフィリポ(同じ名前をもち、誕生日も同じであり、次第にそっくりになって行くこの二人は、まさに二つに引き裂かれていた恋人同士であり、二人でひとつの完全体となっている)の進んで行く過程は、神曲天上界のまさにその通りである。フィリパは「善意の源(月)」から爆弾を仕掛け、憲兵隊は「名声を求め(水星)」テロリスト告発に燃え、二人は恋に落ち(金星)・・・と、ダンテがベアトリーチェと共に至高天にあがるまでの道のりを、まさにそのラストまで、現代的解釈で、比ゆ的に再現してみせる。私は大学時代に神曲の講義を取っていた程度の知識なので、これ以上は語らないが、「神曲」を読んだ方なら、その点から見てみるのもより面白いかと思う。

 さて、最後に、ケイト・ブランシェット礼賛といきたい。
表情でも、動作でもなく、愛や悲しみを伝えることの出来る女優は、そういない。
 この映画での彼女は、ほとんど表情がない。それなのに、私たちは肌の色から、そのまばたきから、そのにおいから(!)彼女が何を考えているのかが分かるのだ。この表現力、この演技力。すばらしいというほかない。キェシロフスキが彼女を主役にこの映画をとれなかったことが、どうにも悔やまれてしまうのだ・・・。


結論

映画として 7/10
ラブストーリーとして 5/10
キェシロフスキへの感慨に 8/10


ちなみに、確認していませんが、音楽は現代音楽の巨匠アルボ・ペルト(私の持ってるCDの曲でした)。この画面にこの音楽を・・というその感覚には、ティクバ監督、脱帽です。