女はみんな生きている

 (ストーリーの一部にはふれていますが、ネタバレというほどではありません)

「女はみんな生きている」    女はそこに何を見るのか

普通の中年主婦エレーヌと、夫ポール。知人との約束に遅れると車を飛ばす彼らの前に、怪しげな男たちに追われた血まみれの若い有色人種の女が助けを求めて駆け寄ってくる。しかし、面倒に巻き込まれたくないポールは無情にも走り去り、血が車についた、と愚痴を言う始末。一方助けなかったことを後悔するエレーヌは、救急病院で瀕死の彼女をなんとか探し当てる。女はノエミという名で、どうやら半分植物状態で口も利けない彼女を付けねらう人物がまだいるらしい。エレーヌは家事も仕事もなげうって献身的に介護をはじめ、彼女を守ろうと決意する。やがて、口が利けるまでに回復したノエミが語った物語は、むごくすさまじい彼女の人生であった・・。


 コリーヌ・セロー監督・脚本の代表作といえば、かの「赤ちゃんに乾杯!」である(ハリウッドリメイク「スリーメン&ベビー」も作られた)。軽妙な語り口が身上の女性監督であるが、実は彼女はしっかりとした社会派監督でもある。もちろん特にジェンダー論的な問題点を中心におく監督であるから、この作品も女性たちを中心に、身勝手で他人を慮ろうとしない男たちとのさまざまな関係を描いたものである。(ちなみに原題はCHAOS、神が人間を作る前、ORDER-秩序- の無い世界のことである)しかし、彼女の語り口はそれにとどまらない。

 ノエミの口から語られるイスラム社会での女性の生活は、まさに衝撃的だ。娘は商品であって、ある一定の年齢に達したらお金と引き換えに嫁に出される。ノエミはその後娼婦となるのだが、その搾取のされ方もすさまじい。ヤク漬け、反抗、ヤク漬け、の繰り返しであり、たとえ映画としてデフォルメされているにしろ、どこの都会でも必ず行われている「裏社会」の風景が伺われる。ノエミはこの男たちからの搾取と従属を、知力と行動力で切り抜け、妹が自分と同じ生き方をするのをどうにか防ぐために命がけで尽力するわけだが、彼女の物語は、普通のフランスを生きるエレーヌとは、あまりにも対照的だ。

 しかし、仕事は持っているものの、夫と息子の世話に追われながらないがしろにされる主婦エレーヌの日常は、ノエミのような生命の危機はないにしろ、やはり男性による精神的な搾取と従属の連続である。ストーリーで重要な役割を果たすことになる夫ポールの母親もまたそうで、年に一回か二回息子に会いにパリのホテルに滞在までする年老いた母親は、成長した息子にまったくとりあってもらえない。

 男性たちにないがしろにされ、さげすまれ、従属を強いられ、搾取されてきた彼女たちが命がけで抵抗するとき、神の作った秩序ーそれはまずアダムを作って、そのあばらからイブをつくった秩序である−は混乱し、カオスとなるのだ。

 カオスの果てに、新しい秩序を見出そうとする女性たちの顔は、強く美い。けれど、「Angry Young Woman」そのままのノエミと、微笑を満面に称えているポールの母親とは対照的に、なにか当惑したままで、憂い気なエレーヌの表情が、セロー本人の、現代社会への意見をそのまま表しているような気がしてならないのである。

映画として 8/10
軽快なフレンチ・クライム・サスペンスとして 8/10
社会派映画として 8/10