昭和歌謡大全集

 村上龍の同名小説の映画化である。

 東京都・調布。専門学校生で、友人たち(松田龍平池内博之斉藤陽一郎村田充)と昭和歌謡を舞台風に歌うことを趣味としている青年(安藤政信)が、町で通りがかりのおばさん(内田春菊)をからかった末、大声を出されてふと、手持ちのナイフで頚動脈を切り殺してしまう。なんだかスカっとした気分になった彼は、ほとばしる血が「チャンチキおけさ」だったと友人たちに吹聴したりしている。
 一方殺された「おばさん」にはあと5人のカラオケ大好きな仲間(樋口可南子/岸本加世子/森尾由美細川ふみえ鈴木砂羽)がいた。現場に落ちていたバッジから犯人を突き止めた彼女たちは、犯人殺害を綿密に計画。それまで独りよがりに歌うばかりだった彼女たちはこれを機に団結、見事復讐に成功する。
 そしてこれが壮絶な闘いの幕開けだった・・!


 村上龍は難解だ。若い頃に本人が好きで(RYU'S BARのようにセンスのよい会話を聞かせてくれるTV番組は今はもうない)ずいぶんと読んだけれど、そのにごっていながら澄んだ私的で感覚的な文章の裏に、その淡々と現代を(または現代を模した未来を)描写する言葉の裏に、明らかな「批判」やウィットある「悪意」を感じるからだ。ここ数年はもう彼のかくものは読んでいないから、「昭和歌謡全集」も原作は未読であるが、この、ナンセンスなまでのバイオレンス・コメディーの背後にも、あの青いバーのカウンターに座る鋭い村上龍の目が見える気がしたのである。

 監督は「深呼吸の必要」の篠原哲雄。カラっとしたアメリカン・ブラック・コメディー(「ローズ家の戦争」に代表されるか)にも仕立てられたであろうに、そうはしていないところが、彼もまた村上龍の「裏」をしっかりと読み取って映像化したのだということが読み取れる。

 全ての章は「錆びたナイフ」など昭和の歌謡をタイトルとして区切られ(小説のままらしい)、その中で「復讐」という形で一人、又一人と殺しあいが続く。その殺し方がエスカレートする様は、「りんごの歌」に始まり笠置シズコ、美空ひばり・・と発展した日本の昭和歌謡が、ピンキーとキラーズ、へとすすみ、ジュリーの「TOKIO」にいたるまでどんどんとその形態をエスカレートさせていったのに重なるし、またそれと同時に、ひとつの時代(歌)が終わるたび、そこで得た刺激(ここでは殺人)以上のものを求めて行くという人間社会そのものの縮図でもある。

 おばさんグループと青年グループは、お互い「差別」し合っていながら実はその「虚無感」が非常に似たものとして描かれているし、殺人という強烈な刺激を通して初めて、それぞれのグループに足りなかったもの−おばさんにとってはそれは「人の話を聞くこと」であり、青年たちにとってはそれは「心」である―が得られるようになる、というアイロニーも上手に描かれている。

 もちろん原作譲りの軽妙な会話と絶妙な合いの手(殺しの後のそれぞれの自慢話の部分など、噴出したほどだ)も健在で、ブラックで笑えるコメディーとしてもしっかり成立している。

 ストーリー自体が一見荒唐無稽であるから、映画の冒頭の歌のシーンから「なんじゃこりゃ?」な感は否めないが、これが村上龍原作で、いつもその裏に何かあること、ウィットに富んだ「悪意」がとてつもなく上手な作家であること、を思い出してもらえれば、充分に楽しめる映画だと太鼓判を押しておこう。

 ちなみに、殺人シーンは強烈であるから、血しぶきに弱い人にはお奨めできないことを付け加えておこう。


映画として 7/10
ブラック・コメディーとして 9/10