ディープ・ブルー

 人間が生態系の中心であるとか、全生物の進化の頂点であるとか、そう奢るようになって、どれだけになるのだろうか。ルネサンスは人間の美しさをひたすらにたたえ、科学は人間の知の粋としてもてはやされ、クローン羊のドリーは人間が神の領域に達した証明であるかのように(もちろん賛否両論をもって)書き立てられる。
 しかし、人間は、この地球の実に70%以上を占める海の、足元にも及ばない。ましてや、自然の、そしてこの地球を作ったであろう誰か(または何か、でもよい。それを神と呼ぶかはその人しだいだ)になど及ぶはずもない。
 人間の奢りと、それを超えた崇高さをまざまざと見せ付けてくれる映画、それが、「ディープ・ブルー」である。

 BBCのアラン・フォザーギルが監督として指揮を執り、スタッフは、はじめの一年を生物学者たちとの膨大なインタビューに費やし、そして、計200箇所以上のロケ地での撮影に、四年半を費やしたと言う。残念ながらカットとなってしまったが、その中には日本のホタルイカの発光といったものも含まれていたらしい。

 その映像は、圧巻と言うほかない。まるで、「動くナショナルジオグラフィック」である。もちろんそれは危険と隣り合わせに膨大な撮影時間を費やした報酬であり、監督以下スタッフの腕の素晴らしさであり、また、編集のうまさである。
 が、しかし、われわれが目を奪われるは、彼ら海に生きるものたちの、ただただうっとりとするような美しさである。

 オキノテズルモズルの海流に洗われながらすすむ触手の美しさ、リーフィーシードラゴンの華麗さ、ゆっくりと意志を持ってただようクラゲたちの優美さに、深海の生き物たちの信じられないような輝き。次々と画面に現れる全ての生き物に、目を見張らずにはいられない。

 この映画を見ると、人間がなにをデザインしようとも、彼らにはかなわないことがありありとわかる。日々、「新しいデザインの・・」「斬新な・・」といった言葉があふれるこの世界に、「新しい」「斬新な」ものなど、あるわけもない。彼ら海底の生き物たちのほうが、数百倍新しく、斬新で、そして美しい。人間など、彼らにかなうはずもないのだ。

 空を飛ぶアルバトロスが、海に座り、そして泳ぐ魚の群れを追い散らし海の中で泳ぎ、獲物を捕らえるのを見るとき、その思いは頂点に達する。海中で銀色に輝く泳ぐ魚をそのくちばしでとらえ、水面に上がるとまた空を飛んでみせる鳥たちよりも、小さなプールでスピードを競い合う、飛べない人間たちのほうが優れていると、誰がいえよう。 
 獲物を心理戦で追い詰め、堂々とした威圧感で海を泳ぐ獰猛で美しいシャチたちよりも、地球上最大の哺乳類、鯨の完璧なデザインと優美さよりも、人間のほうが強くて美しいなどともし言おうとするなら、それはただの驕りにしか過ぎない。
 
 「人間は海より宇宙や空へと目を向けてきた」・・・・今こそ、人間がやってきた、そして、地球の始祖である、海へと目を向けるときが、来たのかもしれない。

そして、人間が、自分を世界の頂点だと勘違いしている、猿山のサルにしかすぎないことを、認識すべきときでも、あるのかもしれない。

映画として 9/10 (ストーリー性がないと見れない人のために−1)
映像として 100/10
海の生き物 点数付け不可能