ネバーランド

 ネバーランド  残されたステッキと山高帽

イギリスの劇作家ジェームズ・バリーと、「ピーターパン」を書くきっかけとなった少年との出会いを描き、映画としては高い評価を得ながらも、「事実と違い、まことに遺憾である・・・」登場人物の遺族からこんなコメントが発表された作品、それが「ネバーランド」である。

 20世紀初頭のロンドン。失敗作続きの劇作家のジェームズ・バリ(ジョニー・デップ)は、公園でシルヴィア(ケイト・ウィンスレット)と4人の息子たちに出会う。その中で三男のピーターは、子供らしい遊びに参加しようとしない物静かな子供であった。父親を最近亡くした痛手が、彼から子供らしさを奪っていたのである。
この姿は、兄を亡くし嘆き続ける母親のために子供であることを捨てた自分の子供時代をバリーに思い出させる。
子供らしさが「けっして失われない」国、ネバーランド・・・・バリーは執筆を始める・・。

 「実際にあったevents(出来事)にもとづいています・・」と始まるこの映画で描かれる事柄は、確かにほとんどが「実際にあった出来事」を描いている。ただし、決定的に時系列が違うのだ。実際はシルビア・デイビスとバリーが知り合うのは、まだシルビアの夫が存命中であり、二人はその中で友情(愛情か?)をはぐくみ、「ピーターパン」発表後、夫が顎のガンでなくなる、といった具合である。
 また、バリーが最もデイビス家で親しかったのは長男ジョージであり、ピーター本人はピーターパンと同一視されるのを嫌っていた、とも言われている。

 しかし、事実を改変してこそ、バリーとシルヴィアの美しくも哀しい友情や、ピーター少年とバリーの心の交流といった多くの観客を涙させる物語が生み出されるのだから、これはある程度いたしかたあるまい。しかし同時に、バリがデイヴィス家の息子たちと「ごっご」遊びを楽しみ、自分が子供であったことを思い出す過程で「ピーターパン」を生み出したというのは、紛れもない事実である。バリは自分の中の子供を、デイビス家の子供たちによって開花させたのだ。

 さて、この作品で(シルヴィアの夫の死亡時期によるずれはあるにしろ)全くの真実として描かれていることがある。それは、バリーの妻との関係、そして離婚の経緯だ。バリーは妻の女優メアリ・アンセルとの間に子供はなく、結局彼女は弁護士との浮気を認め離婚といたる。
 映画では、バリーと妻との関係は、ただの夫婦関係のもつれとしては描かれていない。そこに描かれているのは、たとえば「エイジ・オブ・イノセンス」で描かれたような(国は違うが)、「社交界」とバリーの姿である。すべてが決まりきった型にはまった小さな密室のような社交界で、妻メアリーは社交界の奥方としてすべきことだけに捉われた人生を送っている。社交界でのゴシップに目を配り、ステイタスとしての寄付活動に躍起となる。世間体をなによりも重んじ、表面的なコトバや笑顔ばかりで、けっして心から笑うことはない―それが、当時の社交界の姿であった。
 バリーはその小さな窓のない社会の中で少しづつ締め付けられ、妻との家庭でも、社交界の男性として、そして夫として求められる役割の中でその才能をおしつぶしていったに違いない。それを開放したのが、デイビス家の子供たちとシルヴィアとの出会いであったのだろう。

 シルヴィアが夫を亡くした後である、という設定は、実は非常に巧妙である。社交界は男性中心の社会で、そもそも当時の女性には参政権もなければ、財産を相続する権利もない。(ヴァージニア・ウルフの同時期の小説「オルランドー」では、性が変わっていく主人公の物語が描かれているが、これはウルフの友人が父親を亡くした後財産も家も相続できなかったことから着想を得た物語である)夫を失った女性は、そのとたんに社交界からも、社会からも締め出されるのである。密室から締め出されてしまった女性と、密室に自分が殺されていくような感覚を味わっていた男性の出会い―それが、映画の中のシルヴィアとバリの出会いであった。
 あまりに親しすぎる故にゴシップとなる二人は、そのためにますます社交界から締め出されていく(これは、事実においてでもそうであろう。夫のある女性と親しくなれば、それは最大のゴシップである。)が、それはあるいはバリにとっては好都合であったのかもしれない。彼はシルヴィアや子供たちとすごすことで、やっと大きく息をすうことが出来たのだ。
 そうして「ピーターパン」が生み出された、というのは、確かに、紛れもない、事実なのである。

映画のラストで、バリーがベンチにステッキと山高帽を残して去っていく。それは、彼が社交界から(精神的に)決別したことに他ならない。そして、ピーターパンを先頭に、子供たちが飛び立つそのはるか足元には、ロンドンの議事堂があり、町並みがある。彼らはロンドンという町に「押し込まれず」に、そこから飛び出していく―そう、確かに、バリーこそが、ピーターパンなのである。

映画として 8/10
デップ 9/10 (ごっご遊びコスプレに6点 スコットランド訛りに3点)
ウィンスレット 10/10 (この映画は彼女なくしては成り立たなかっただろう。彼女がこれだけ演技力のある女優だとは「タイタニック」のときに誰が想像しただろうか)