クローサー

クローサー

もっと近く、もっと遠く

新進劇作家パトリック・マーバーの人気戯曲を、本人が手直し、構成力では定評のあるマイク・ニコルズ監督が映画化したのがこの作品である。

 めがねにボロボロのシャツ、さえない死亡記事担当の新聞記者ダン(ジュード・ロウ)は、ひょんなことからNYからロンドンに到着したばかりのアリスと名乗る魅力的な女性(ナタリー・ポートマン)と出会い、恋に落ちる。
 場面は移り、クールなシャツに身を包み、いかにも「イケ面」風になったダンの写真を撮っているのは、女性写真家アンナ(ジュリア・ロバーツ)。二人は唐突に惹かれあう。が、ダンが出版する本のモデルとなった女性が彼が同棲する恋人アリスだと知ると、アンナは足を踏みだせない。
彼女をあきらめきれないダンのしかけたいたずらで、アンナが知り合ったのは皮膚科医ラリー(クライブ・オーエン)。アンナの「見知らぬ人々」を題材としたポートレイト展覧会をきっかけに、彼らのcloser(もっと近くへ)が始まる・・・。


 いわゆる日本語の「ついたり離れたり」的展開を、この映画は私たちの日常の「ミクロコスモス」として描き出す。この映画では四人で行われていることが、私たちの周りでは十人、百人、という単位で行われているに過ぎないのだ。

 物語のキーワードは、「stranger」という言葉だ。人間はそもそも「他人同士」にしかすぎず、見知らぬ人同士が知り合い、そしてまた他人となっていく―その過程を、極端にその「合間」を飛ばすことで彼らの「心変わり」をひきたたせながら描いていくところなどは、監督とマーバーの力量を見せ付けられる思いである。
 
 ストリッパー・アリス(イギリスという「不思議の国のアリス」のアリスである)は、まるで「すさんだ」人生を生きているようでありながら、四人の中では最も純粋に愛を信じ、実行する存在である。また、全てを「ストリップ」する存在でありながら、男性に、本当の彼女自身は明かしていないことは逆説的に彼女の愛の純粋さを物語ってもいる―真実の彼女を明かすことは、「永遠の愛」の証でもあるのだ。
 また、彼女の人物設定は、「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーの影響を色濃く持っていることも追記しておこう。男に汚されながらも純粋で、無垢で、無知なようで最もコトの真髄を捕らえているのが、このアリスである。

 ダンは「女性によって作られる男性」の典型かもしれない。それは「愛によって作られる男性」でもあるのだが、アリスも、そしてアンナも、初対面の彼の服を直し、ネクタイを直し、まるで彼の母親のような所作をする―いわゆる母性本能をくすぐるタイプ、という描かれ方であろう。「あなた12歳?」とアンナがだだをこねる彼をなじる場面があるが、結局はその彼にアンナは惹かれてしまうのだ。その少年らしさゆえ、移り気で恋に落ちやすく、繊細さが女性たちに愛されるのだが、結局は数枚もうわてのラリーにはたちうちできない。果たして彼が年を経るとラリーのような「男」になるのかは、なぞである。

 ラリーはその職業のごとく「表面の」男だ。女を表面から、舐めるように、見る。言葉を「表面で」使う。彼の「愛している」は「(性的に)いいね」の意味であるし、妻への支配欲はセックスで満たし、同時に、他の女たちへの欲望もつきることはない。全てを「性」へとつなげて考える、彼はいわゆる「男性的な男性」であるのだ。男性の典型的な「ダブルスタンダード」で、自分が売春婦と寝たこと以上にアンナを攻め立て、ストリップバーで興奮しわめきたてる彼は反吐が出るほど下品であり、また妻を取り戻すためにこうじる策はまさに狡猾であるが、同時に、ウィットに富み、優しい一面もある―そう、つまり、彼はただただ、典型的な男性なのだ。普遍的とも言える一般的な男性像。それが、ラリーである。

 アンナは「流される女性」だ。ポートレイト写真を撮り、物事の真実を捉えていながらも、そのときどきの状況に流されてしまう。人に流され、出来事に流され、意志があるようで意思を持たない。それが成功した女性アンナ本人である。ラリーが彼女を「幸福を好まない」と称しているが、あるいは彼女は「安定を好まない」女性ともいえる。「他人」の「芯」を捉えた写真を撮り、それによって自身の成功を気づいていく彼女本人の「芯」は、常に流動的で、葦のように流されながら立っている・・実はアンナが最も、「一般的な現代人」であるのかもしれない。

 四人の恋愛劇は、人間の「肉体」と「心=愛」の関係を紡ぎだしていく。愛は肉体ではなく、目に見えないが、肉体に支配される。そして、全ては舌がつむぎだす、言葉に支配される・・・。言葉にも、肉体にも嘘が潜み、そこに真実を見つけ出すのは、至難の業である。いや、「クローサー」では、かろうじてアリスが、(しかも逆説的に、そして残念ながら)見つけたに過ぎない―――。

名戯曲を、上手に映画化した、なかなかの良作であった。また、クライブ・オーエンと、ナタリー・ポートマンの好演は、賞賛に値することを最後に付け加えておこう。

映画として 8.8/10
見た後、恋をする気分 0/10