チャーリーとチョコレート工場

ロアルト・ダールの名作児童文学を、鬼才ティム・バートンが、友人ジョニー・デップとタッグをくんで映像化して見せた、あの話題作である。

 激しく傾いたボロボロの家。チャーリー・バケットフレディ・ハイモア)は失業中の父(ノア・テイラー)と母(ヘレナ・ボナム=カーター)、そして互い違いに寝たきりの計381才の祖父母たちと、ひっそりと、けれど暖かく暮らしていた。
 チャーリーの住む町には世界一のチョコレート会社「ウォンカ」の工場があり、祖父はかつてそこで働いていたというのだが、現在は人が出入りする様子は見えない。
 さて、ある日ウォンカチョコの工場主・天才ショコラティエ ウィーリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)が、「工場に招待する五枚のゴールデンチケット」を自社のチョコレートに入れたと発表。次々と金のチケットが発見され、ついにチャーリーがその一枚を手にすることになる。
 祖父と出向いた工場の中は、まさに想像を絶する世界だった。そして、彼と共に招待された子供たちを待ち受けるのは・・?

  
 ロアルト・ダールは「児童文学」を書いてはいるが、彼はオスカー・ワイルドが「幸福な王子」を書いたから「児童文学者」でない(なんといったって「サロメ」だ)のと同じく、彼もまた、「児童文学者」ではない。ダールは、いつだって、「風刺作家」であった。彼の小説の中では、凶器は警察の胃の中に納まり、ロイヤルゼリーを飲んだ赤ん坊にはハチの繊毛がびっしりと生え、品の良い紳士は実はただの飲んだくれである。その彼が描いた「チョコレート工場」は、いかにも子供の好みそうなイマジネーションの世界であるのと同時に、もちろん強烈な「風刺」に他ならない。そして、ティム・バートンは、それをそのまま、風刺であることを理解したまま映像化して見せた。

 ダール本人をどこかの三文記事で呼んだまま「児童作家」と勘違いした観客が、作品のブラックな色あいはティム・バートンの味付けによるもの、と勘違いしていることがあるようだが(素晴らしい子供の世界を、あえて斜から見るなんて、信じられない!といった感想だろう)、これは大間違いである。バートンは、自分の色が、ダールの持つ風刺作家としてのブラックな色と、「チョコレート工場」という物語そのものが持つ素晴らしいイマジネーション世界に合致するのを知っていて、この映画化にいたったのに他ならない。

以下物語の結末ではありませんが、ネタバレが含まれますのでお気をつけください、

 金のチケットを手にする子供たちの面々が最も風刺のきいているところだろう。豚のように食べ続ける大食漢の太った少年、欲しいものを手に入れるために親を召使のように使う少女、ガムを噛み続け、賞をとることに闘志を燃やす少女、テレビゲームにあけくれ、自分の知識をひけらかす少年―この四人の子供たちは、ウォンカによってそれぞれのやり方で淘汰されていく。
 
○豚のように、お菓子を味わうことなく食べる少年は、お菓子そのものに。(糖尿病、の暗喩があろう)
○欲の皮が突っ張ったわがまま少女は、空っぽの「クズ」として、それを許す親と共に文字通りゴミために。
○勝気で全てを勝負と考えるガム噛みの「バイオレット」はShrinking violet(英語の表現で、引っ込み思案の意味がある)の真反対、まさにガムのようにblowing Violet(ぱんぱんにふくらんだバイオレット)に。(そして、それをsqueezeされる!)
○自分の知識をひけらかし、テレビばかりで人を馬鹿にしていた少年ティービー(TV?)は、その真価の通りのサイズと、薄さに。

残るのは、家族思いで、親の言いつけも守る、チャーリー少年、という具合である。

風刺を利かせた、ある意味「グリム童話」のような子供向きの教訓物語―それが原作を含めたこの物語なのである。

 さて、さまざまなところで書かれているように、CGに頼らないそのセットはまさに素晴らしいし、実際のチョコレートを混ぜて作ったというチョコレートの川も、とびこみたくなるほどのできばえである。
 半年かけて調教されたというリスの芸達者ぶりに舌を巻き、映画で描かれる、原作にはない生い立ちをただよわせながら「不思議ちゃん」全開の演技を見せるデップの演技も素晴らしい。映画化という点においては、確かにティム・バートンは天才の手腕を発揮したと言っていいだろう。

 ところで、工場で働く小人「ウンパ・ルンパ」だが―当然こればっかりは、一人を数重に焼き付けたCGであるが―その「おもしろさ」を語るとき、彼らが歌う音楽と踊りの素晴らしさに最も着目すべきだろう。

 お菓子の川で踊られ歌われるのは、往年のハリウッド・ショーミュージカルのパロディである。白黒のショーミュージカルで、水着を着た美女たちが一列にプールに飛び込んでいく様をどこかでごらんになったことはないだろうか。あのころ風の「まさにミュージカル風」歌と踊りが、これだ。
 次はいわゆるカリフォルニア風とでもいうのだろうか。ヒッピーサウンドの雰囲気のあるニューミュージクのさわやかな旋律。
 お次はかの「ディスコ」ミュージック。ナイトフィーバーの踊りを繰り返しながら、ディスコチックに。
 最後は「クイーン」を思わせるようなヘビーなロックで胸毛もあらわに―。

 全ての歌や踊りが、それぞれ「テーマ」を持って作られているのは、なんとも見事で、音楽好きにとっては「おや、この旋律、あれからとったな」というところまでニヤリとできる。ウンパルンパの醍醐味は「かわいい!」ではなく、その音楽や映画のパロディ(「2001年宇宙の旅」のパロディのはまり具合は感動すら覚えるほどだ!)にあることも、付け加えておこう。

 とにもかくにも、映像面で楽しめ、音楽面で楽しめ、そして、ダールのブラックなユーモアと、その真意―最高の幸せは家族と共に味わう菓子であり、菓子そのものではない―を明確にしたまま映像化して見せたバートンには、惜しみない賞賛の拍手を送りたい作品であった。


映画として 9/10
ウォンカ 9/10
おじいちゃん 10/10
ウンパルンパ 150/200

追記:ウォンカの服装自体が「妹の恋人」のセルフパロディなのかもしれない。