「コラテラル」         

コラテラル」           佳作『ドラマ』として見る

「ヒート」のマイケル・マン監督に、天下のトム・クルーズが悪役に挑む、と聞けばおのずと期待してしまう「サスペンス・アクション」ムービー、「コラテラル」。ところがどっこい、この映画、「サスペンスアクション」というよりも、いろいろな意味で「ドラマ」そのものであった。
まず、ストーリーは・・


 マックス(ジェイミー・フォックス/「アリ」なんかに出てるコメディ出身のブラック)は、平凡だがよく気が付くロスのタクシー運転手。乗客の一人女性検事のアニーと心を通わせたことから名刺をもらったりと、いい夜を過ごせそうな予感だ。
 彼女の次に乗せた乗客は銀髪にひげを蓄えたクールな面持ちの男。(トム・クルーズ)ヴィンセントと名乗り、不動産業で五人の客のサインをもらうために一晩貸切で走ってもらえないか、と大金をちらつかせ話を持ちかける彼に、マックスはしぶしぶ了解。しかしそれこそが悪夢の始まりであった・・。


 マイケル・マンのバックグラウンドとして頭に入れておかねばならないことがある。それは、彼が長年テレビ業界の「刑事物・警察物」で活躍し(スタスキーアンド・ハッチの脚本家であった)、かの刑事物の大御所、「マイアミバイス」の仕掛け人であったことだ。
 私は最初にこの映画は「ドラマ」だといったが、そのひとつの答えがまずここにある。目線をさまようようなラフなカメラワークに、ど派手というよりも妙に現実感のあるアクション、ロスのリアルな街並み、そして、はっきりと焦点の合わない登場人物の描き方、などがそれだ。

 通常、映画では主要なキャラクター(と、プラスアルファほどの助演者)のみがきちんと描かれるのだが、TVドラマにおいては主要なキャラクター以外の者たちにも多少の焦点が当てられる。(特に、いわゆるサスペンス系・刑事物系のドラマがそうだ。刑事たち以外に犯人やその取り巻く状況なども描かねば話が成立しないからである)
 これは、映画が二時間程度という短い制限時間なのに対し、ドラマは時間的余裕があるからできることなのだが、マイケル・マンは、これを制限時間の短い映画の中にまで持ち込む。だからそのキャラクター、とりわけ主要登場人物の描き方は少し「手ぶれ」するし、その山場は多少色ざめする。一言で言ってしまえば、「クリアー」ではないのだ。

 「ヒート」は2大俳優(デニーロとパチーノ)を配し、その存在感を強調するために山場を大幅に盛り上げたので、この、TVドラマ独特の「手ぶれ」感はだいぶ薄らいでいたのだが(それに、作品自体も長い)、今回はそうではない。「コラテラル」は、マイケル・マンによる、二時間のTV「ドラマ」、「クリアーではないこと」を楽しむべき「ドラマ」なのだ。
 
 また、この映画は映画のジャンルとしても、本来は「ドラマ」に分類されるべきであるように思う。もちろん、「巻き込まれ(=コラテラル)型サスペンス」の形をとってはいるのであるが、これを「サスペンス」「アクション」として評価した場合、それは上にも書いたとおり、「クリアーではない」という点で低い評価とされる可能性が高い。(そのTVドラマ風手法を楽しんでほしいものではあるのだけれども)
 が、しかし、この映画は「ドラマ」−ヒューマンドラマ、という意味のドラマであるーとしては非常に面白いものを持っている。

 夢もハートもあるが、しがないタクシー運転手を続けているマックス。
 超現実的で冷徹だが、任務の遂行のためには手段も体裁も選ばないヴィンセント。

黒人と白人で、姿も正反対の二人(ひげに白髪⇔めがねに黒髪 スーツ⇔ジャージ など)は、ユングいうところの「シャドー」そのものだ。マックスとヴィンセントはお互いがお互いの影である。
 だからこそヴィンセントは安易にマックスを殺しはしないし、マックスも、はじめは語ろうとしなかった自分の夢を、脅されている相手のヴィンセントに語ったりするようになる。

マックスは自分の人間的・精神的問題点を指摘されるとヴィンセントに反抗するし
ヴィンセントもまたマックスに反論されると逆上する

お互いがお互いにとってのシャドーであるふたりが、犯罪者と犠牲者、という立場で出会い、それぞれを「壊して」いく。壊れたそれまでの自分を「再び構築」するのはどちらであるのか。そこにいたるまでの二人の駆け引き、会話のやりとりがこの映画の醍醐味であり、最終的なクライマックスとなっていく。

 ストーリーは全く違うのだが、「ファイト・クラブ」と、その点では非常に似た構図を持ったストーリーであるように思う。もちろん「コラテラル」はずっと泥臭く、ずっとテレビくさい代物ではあるのだが・・。

 自分の「影」といかに対峙するかーマックスとヴィンセントという「サスペンスアクション」映画の登場人物の中に、この問いかけを見つけることが出来れば、作品の途中で現れるある動物や、ラストなどもたやすく理解することが出来るかと思う。「コラテラル」は男の「ヒューマンドラマ」なのだ。

 さて最後に、ヴィンセント演じるトム・クルーズ。最初はミスキャストじゃん、と思っていたが、その「hollow man」(空虚な人物)としての気持ちの悪さは、なかなか適役だったのではないかというのが見ての感想だ。「クールで颯爽とした凄腕殺し屋」のかっこよさではなく、「なりふりかまわず任務を遂行する空虚な殺し屋」の気持ちの悪さをかもし出したところに、座布団の8枚くらいはあげてもいいかと思う。


ということで

結論

もしあなたが、「泥臭いテレビドラマを映画館で見ること」を楽しめる懐の余裕があるなら、
または
「クリアーではないサスペンスアクション」の中に男の「ヒューマンドラマ」を見出せるなら

映画館で、1000円で。

「サスペンスアクション大作〜!コラテラル〜!!」のイメージがどうしても払拭できない人
トム・クルーズマイケル・マンが、切れのいいハリウッド大作でないと許せない人

ビデオで150円で見てあげてください〜

追記

1. スーツ姿(しかも超サラリーマン風)で、「しごと、しごと」となりふりかまわず職務を遂行するヴィンセント。「仕事が優先のビジネスマン」をはっきりと揶揄している。

2.戸田奈津子さん、「ハンプティーダンプティー」を「天使の像」と訳すのはどうでしょう?割れた卵、くらいでよかったんじゃないでしょーか・・?