「誰も知らない」

「誰も知らない」    輝きの裏に隠されたもの

幻の光」の是枝裕和監督が、1988年に起きた巣鴨子供置き去り事件を題材に撮りカンヌでパルムドール・ノミネート、主役の柳楽優弥少年が独特の存在感で史上最年少のカンヌ主演男優賞を受賞した、かの話題作である。


 東京。中年の明るい母親(YOU)と、小学校六年生という息子(柳楽優弥)が、引越しの挨拶をしている。「夫は海外で・・・この子、明は学校で勉強も出来て。二人暮しなんです」というその言葉とは裏腹に、2LDKの部屋には、明のほかに、京子、茂、ゆきという幼い兄弟がいた。誰も、学校にはいっていない。また、明以外は、外出すら禁じられていた。
 それでも子供たちは母親を愛し、母親も彼女なりに子供たちを愛したが、好きな男が出来た母親は、いくばくかの金と「皆を頼むね」という簡単なメモだけを残し、子供たちを置き去りに姿を消す。子供たちだけでの生活が始まる・・・。



 子供たちに演技を強要するのではなく、四季を通じて子供たちの生の姿を撮りつづけることで、是枝監督は、四人の幼い兄弟としての彼らを「撮り出し」て見せた。蛍光灯の光の中で、朝日の、夕日の中で、子供たちはキラキラと澄んで輝く。「物より思い出」という、最近まで放送されていたニッサンのCMをご存知だろうか。色彩の美しい自然、子供たちの笑顔。あれを撮ったのが、是枝監督である。この映画では少し砂埃のかかったような、薄い色合いの映像となっているが、彼の子供へのまなざしは変わらない。子供は光り輝くもの。子供は自然であるべきもの。

 モデルとされた、巣鴨置き去り事件が、置き去られ後に、長男の少年とその友達の手で三女の妹(14歳の長男、7歳3歳2歳の妹の四人兄弟)が折檻死、死体を押入れに遺棄、といった陰惨極まりないものであったから、「誰も知らない」での美しい子供たちの笑顔へ対して、「きれいごとばかり」「ありえない」「お涙頂戴」というような批判が多少なりとも見受けられたのは、「事実を映画化したもの」とこの映画を捉えたからなのだろう。しかし、是枝監督がこの映画を本当に見てほしいと感じているのは、親に置き去りにされた子供たちが必死に生きようとする姿を「お涙頂戴」といい、その笑顔を「ありえない」という、その大人たちなのだ。  

 映画の冒頭の引越しの場面では、「子供が多いとうるさいし・・」といったセリフが大家から口に出され、明が助けを求める大人たちも、「子供たちだけで暮らしている」と聞いても本当には手を差し伸べないし、毎日のように通っているコンビニの店長は、あきらかに姿が異様になっていく明に対しても「遠足〜?」と営業用の言葉を投げかける。ほんの数人を除いて、大人は子供たちを、本当には見ていない、いや、見ようともしていないのだ。そして、彼らにとって、必要であるとすら、思ってもいない。

 不登校の中での心の平安を明たちと過ごすことで癒すことになる女子学生は、明へのお金を作るためにと、携帯で知り合ったサラリーマンとカラオケに行く。中年の男はカラオケ店で携帯に目をやりながら手を振り、去っていく。彼女をある意味必要としているそんな男ですら、子供を「見て」はいない。明の家でファミコンをするようになる少年たちにも、「母親が、塾が」という言葉は聞こえても、庇護者たる親の姿は見えてこない。
 母親に見捨てられ、社会にも透明な明たちのみならず、日常を生きているはずの彼らフツウの現代っ子にさえ、大人は目を向けてはいないのだ。

 そして、明たちが屈託なく公園で遊び、ベランダで土にまみれて緑を育てながら見せるキラキラした笑顔の一方で、ファミコンに興じ、万引きでスリルを味わい、携帯メールに没頭する「現代っ子」たちの笑顔は、時に暴力的で、むなしい。

 こう書いていると、「自然に帰れ」というルソーの言葉が思い出される。「物より思い出」・・是枝監督は、現代文明(映画内で、それはファミコンや携帯のみならず、大きなビルや、電車、飛行機といったものでも効果的に強調される)の中ですさんでいく子供たちと、電気を止められ、ガスをとめられ、文明から置き去りにされ「自然に帰る」ことを余儀なくされた子供たちの輝きを対比して描く。

 しかし、悲劇は起こるのだ。大人の手から完全に離れた子供たちのことを「誰も知らない」というのは、すなわち、彼らがまた「誰も知らない」ことを意味する。誰も見ていない、誰も彼らを知らない、彼らも誰も知らない、彼らは何も知らない。助けも、救いの手もない。

 子供たちの輝きを守るために、大人は何をするべきなのだろう。公園のジャングルジムで夕日を浴びながら、風に眼をつぶる子供たちの笑顔を守るために、大人は何が出来るのだろう。本当の「子供たち」を取り戻すために、大人は何をすべきなのだろう。

この映画の本質を象徴するような、印象的な場面がある。

 空を飛ぶジャンボジェット機を、大人への階段を上り始めた明が、まぶしそうに見上げ、その袖を弟の茂が引っ張る。茂の澄んだ、そして不安そうな、瞳。

子供と、大人と、空と、土と、雑踏と、ジェット機と。

子供たちのまぶしいまでの笑顔と、映像の美しさの裏に、優しさと、そして痛烈な現代社会批判までをも隠した是枝監督に、惜しみない拍手を送りたい。

映画として10/10
柳楽優弥くん 10/10