「マレーナ」  イタリア版「フォレスト・ガン

マレーナ」 イタリア版「フォレスト・ガンプ」として

マレーナ」は一世を風靡した近年のヨーロッパ映画の作品のひとつだ。いろいろな雑誌でも、テレビでも、話題作として大々的に宣伝され、とりあげられた。主人公を演じるのは「イタリアの宝石」モニカ・ベルッチで、監督は名作ニュー・シネマパラダイスの巨匠ジュゼッペ・トルナトーレ。運命に翻弄される女性と、それを見守る少年の話で、もちろんお色気シーンもありますよ。ノスタルジックで、殿方には特にお勧めです・・とそんな具合であった。

 この映画を見た女性評論家という人がいて、「女性にはちょっと、いまいちですね。女を馬鹿にしていますね。」といったようなコメントだったかと思う。

 が、私は思う。あの評論家はこの映画の真価をわかっていない。殿方ではなく、女性にこそこの映画を見ていただきたいのだ。これは、ある女性の体験した戦争の物語であり、いわば、イタリア版女性によるフォレストガンプなのだ。でなければ、なぜ、タイトルが「少年の思い出」「夢の女」ではなくて、「マレーナ」本人のはずがあろう。


1940年の晩春、シチリア。戦争が始まってまもない頃、12歳の少年レナート(ジュゼッペ・スルファーロ)は、村一番の美しい女マレーナ(モニカ・ベルッチ)と出会う。彼女は彼の通う教師の娘で、その美しさぶりは有名で、男たちは彼女が通るたびに卑猥な言葉を投げかけていた。が、結婚したばかりの夫は早くも戦線に送られてしまい、父親も他界。、一人でひっそりと暮らすそんなマレーナを半ばストーカーのように見守るレナート。そして食べることにすら困るようになったマレーナは、いつしか娼婦へと転落して行く・・

 
 マレーナは父親が存命のころからさんざん男たちの話題の的である。男たちの賞賛は、彼女への蔑視であり、男たちの羨望の眼は、もちろん陵辱にしかすぎない。父親も夫もいなくなり全くの一人身となってしまうと、マレーナは食べるものすらない。食べ物をゆずってくれるという男は体を求め、それを見た女たちは彼女を仲間はずれにする。そもそも女性が働く社会でもなく、いつのまにかつまはじきとなってしまったマレーナが生きるためには、男性に身を任せるしかない。将校と恋に落ちるも、ひょんなことから裁判沙汰になり、愛を失うかわりに、裁判費用のために弁護士の愛人へ。そして捨てられると、町を占領したドイツ軍に身を任せる娼婦となり、戦争が終われば、今度のお相手はアメリカ人である。

 マレーナは戦争の時代を生きた。のどかなイタリアの田舎町が、軍国主義ファシズムから、ドイツ軍による占領を受け、アメリカによって開放され、そして再び平穏な日々を取り戻すまで、彼女は、それぞれの男たちに、そして社会に翻弄されながら、生きた。彼女は彼女の戦いーーそれは飢えであり、女性としての、人間としての尊厳であったろうーーを、戦い続けた。

 「翻弄される」さま、彼女がまるで「中身のないお人形のような扱われ方」であるから、この映画はよくないと批判する人がいる。マレーナが人形のようであるのは、それはもちろん監督がそう描いたからだ。マレーナは生きるために、「人形であること」を選択した。最初に食べ物と引き換えに体を求められ、拒んでいたマレーナをどうして見逃すのか。けれど彼女はどこかで、全てを諦めたのだ。生き延びるために。
 
 また、歴史に翻弄されるマレーナは、まさにイタリアそのものを体現している。将校を愛するも捨てられ、ドイツ軍にもてあそばれ、アメリカ軍を受け入れるマレーナの姿は、まさに、軍国主義に翻弄され、ドイツ軍にもてあそばれ、アメリカ軍に占領された、イタリアという国そのものの姿である。ラストシーンでのマレーナが、その輝きを失い疲れた姿であろうとも、ひっそりと笑顔を見せ、一からやり直そうとするのは、あの、栄華を失った、第二次世界大戦後の疲れきったイタリアの姿そのままではないか。マレーナがなぜそこまでして生きのびたのか、これでお分かりいただけたかと思う。

 この映画は、ある女性が、歴史−男たちの作った歴史−の波に翻弄されながらも、生き抜いた、まさに女性のための物語であり、イタリアそのものの物語である。彼女を本当に救うことが出来たのは、それを傍観者として見守ってきた純粋な少年であり、歴史に手を貸した大人の男では決してない。

 彼女側の物語と、少年側の物語、そして町の男たち・女たちの物語には確実なずれがある。彼女にとっての悲劇と転落の物語は、少年にとっての愛と、欲望と、そして悲しみの物語であり、男たちにとっては、欲望と嘲笑の物語であり、女たちにとっては、軽蔑の物語である。
この映画は、彼らに自分を投影してみるべきものではない。外から、彼らを眺めてみればーそう、レナート少年の、もうひとつ外からだーそこにもうひとつ、見えてくる何かがあるはずだ。われわれはこの映画の真価について語るとき、この地点に立って語らねばならない。アメリカが、その体験した歴史を「フォレスト・ガンプ」によって描いたように、イタリアは、その歴史を、「マレーナ」によって描いたのだ、と。

最後に、マレーナことベルッチのインタビューを抜粋しておこう。

マレーナは一見、受身的に見えますが、1940年代のイタリア女性の闘う姿を現しています。彼女にとっての勝利とは、自分が尊厳を失った場所に敢えて夫とともに戻るということでした。 監督は女性蔑視の映画を作ったのではなく、むしろ過去の女性の姿を描くことで時代を批判するフェミニスト的な作品を作ったのです。

その美貌ばかりがとり立たされるベルッチだが、彼女は、本物の演技人である。ベルッチにマグダラのマリア役(パッション)をふったメル・ギブソンに惜しみない拍手を!

結論

少年のノスタルジーだけでみるなら、194円。(微妙)
上のことも踏まえて全般的にみてくれるなら、350円で。